アマゾンで活躍する日本人移民の歴史

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1929年〜

アマゾンアカラ地帯(現在のトメアスー)に移民した日本人は、未開の原始林、風土病に悪戦苦闘するも、熱帯では難しかった野菜栽培を成功させ、供給先だった近隣の都市ベレンに野菜を食べる習慣を根付かせた。この時誕生した「アカラ野菜組合」は現存する最古の日系農協の一つだ。しかし、想像を絶する入植の実態は、入植者総数352家族(2104名)から退耕者が続出し、38家族に激減していることが物語る。入植者の中には、開拓の捨石となり、アマゾンに墓標が並んだことも事実である。

1941年〜

安定経済に向かいつつあった入植地は、第二次世界大戦を向かえ再び苦難がはじまる。アマゾン各地の日本人とドイツ人はこの入植地に軟禁された。川を下る舟の道しかないこの地域は陸の孤島、塀のない収容所であった。

1947年〜

敗戦後、州管理局の統制下に販売・購買の全てを抑えられる苦難が続いたが、入植者達の2代目達の新しい発想と語学力も加わり、戦前の農業組合は、「トメアスー混合産業組合」としてブラジル公認団体として登録された。そして、「コショウ」の栽培を成功させ、戦後の胡椒価格高騰も重なり、コショウ主作の増産で国内外への販売を進め、アマゾンの黒ダイヤと第一黄金時代を迎えた。トメアスーの黒コショウは外貨を稼ぎ、納税多額群として、ブラジルに大きく寄与した。

1953年〜1980年代

戦後移民も始まり、第二移住地区も開拓され、1979年トメアスーの日本人在住者は約450家族2500人に達した。しかし、1974年の水害はコショウ栽培に打撃を与え、単一栽培の病害も重なり、営農の多角化が進められた。

1980年代

日本政府の助成を受けて、ジュース工場を建設。輸送の難しかったアマゾンのフルーツを冷凍ジュースとして国内外への販売を可能にした。

現在

アマゾンの原生林で野生の作物が豊かに実っていることから学んだ「アグロフォレストリー(森林農法)」を開発、発展させ、世界各地の熱帯地域の農業教育に貢献している。